「無知の知」ができない本当の理由

   

無知の知

無知の知

 
「無知の知」

これはかの有名な哲学者の言葉
「無知の知」の意味は

無知であることを知っている時点で相手より優れていると考えること。また同時に真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まるというもの。

毎日いろいろ新しい情報に触れると、「あ〜自分にはまだ知らないことがたくさんあるのね。」と痛感する場面が多い。

年を重ねるごとにますますそう思うようになり、過去のもっと勉強をしておかなかった自分をうらめしく思ったりする。
この無知の知は意外と曲者で「無知の知」で「自分って実は、何にも知らないだなぁ」これで他人より一歩前でたなぁ。

なんてことはありえない。
無知であることを認識はできるが、世の中で自分が何を知っていて、何を知らないのかを認識しなければ、具体的に何の知識が足りないのか?何を知ること自分が成長することが分からない。

わたしたちが知っている情報は偏っている。

これは脳が認識できるものしか、その存在を認識できない知らないものは認識できない。

 

「知っている意外のものはないのである。」ということは知っている範囲外を見つけることが難しい。

 

 

 

「無知の知」の知の範囲を広げる方法

今自分が持っている知識の幅が狭ければ世の中にあるものの認識している範囲が狭いので無知と言わしてめている足りない知識が見えない。

だから無知の知を知ったところで、無知である自分を変化できないではないか?

では、この無知の部分が見えるようになるために、何が必要なのだろうか?

それは、視点を変えることである。

ノートを一冊机の上に立ててみる。表紙側を見ていると仮定した時に、ノートの裏面は当然だが見えない。

ではそのノートの裏面を見るためにはどうするか、ノートを回すか、ノートを動かせない場合は自分の位置を変えるしかない。

「当たり前じゃん」と怒られてしまいそうですが、無知の状態はこの見えない裏面の状態ではないかと思う。

そして、表面を見ている状態でわたしは見えないから、無知です。それならば、動いて視点を変えればいいじゃないか?
ここで重要なのは、人は見えないものは認識できない。認識できないから動けないのだ。
更に物理的にあるようなものは少し視点がずれると、裏面を認識しやすいが、情報の中の裏面は非常に見えづらい。
裏面をみようとしたりして、掴んだり、向きを変えたり、自分が動いたりできないからである。
だから、無知の知を知っても、自分の周辺にある知が見えない。
お金持ちの気持ちはお金持ちにしか分からないし、
大人の思考は大人にしか分からない
上司の考えや部下の考えは当事者にしかわからない

これは全てそれぞれの見ている視点が違うからだ。

ではどうすれば、今まで見えなかった知(情報)が見えてくるのだろうか?

視点を変えるために、今まで自分が興味が湧く以外のものや場所や人に触れることである。

自分が興味が湧くものは基本的には自分の認識できていて安心できるものである。

人は知らないことには恐怖を感じて不安になる

だから知っている情報、興味がある情報を集めたがる。

そうすることで、ますます見ている視点が固定されて、見えなくなるものが増えてくる。

いわゆる固定観念というやつだ。

それが自分の人生の幅をせまくしたり、自分にはできないと思ったりする原因にもなる。

結構、悩みの原因がこれだったりすることも多いのである

今までとは違う視点を手に入れるために、自分の固定観念をなくしていくために、「今までは自分では意識して選択をしなかったものや人と接する」それが自分を「無知」から少し「知」へ向かっていく鍵になるのではないかと思います。

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